KENJI MISAWA
三澤憲司

三澤憲司は、24歳の時に箱根彫刻の森美術館で開催された第1回国際彫刻展でのコンクール賞を受賞したのち、1年間に渡り世界23カ国を放浪し帰国します。三澤はそれ以降、彫刻家としての道を進むことになります。1984年、文化庁芸術家在外研修員として、ニューヨークのイサム・ノグチのスタジオで学んだ後、ハーバード大学に客員芸術家として招聘されたことを契機に、海外での活動を本格化します。

三澤は彫刻家として、日本各地に100点以上のモニュメントを制作設置しその名を知られることとなりました。石と金属、もしくは自然と人工といった異質の物質同士の不調和の調和を図る空間構成による表現を展開し、立体造形としての作品を発表する一方、自らを媒介として新しい造形感覚・空間間隔を結び付けた日本庭園や環境設計・モニュメントも数多く手がけてきました。画家としての活動はその膨大な作品数をもっても未だ広く知られていません。

三澤は、60年代後半の日本の美術を代表する大きなムーブメントであった「もの派」、その代表的な作家である関根伸夫や菅木志雄とは同窓生であり、さらに李禹煥とは互いに刺激し合って制作した仲でした。彼は「もの派」の作家たちと同じく、「もの」そのものの特性を引き出すということに着目した作家であり、彫刻作品においては、異質なもの同士を組み合わせることによって、素材同士の特性を対比する手法を得意としました。これは、用いる素材同士はあくまで不調和でありながら、空間の構成・配置においては調和を図るというもので、「不調和の調和」と呼ばれています。

「不調和の調和」は彫刻作品だけでなく、絵画作品にも見られ、カセットテープや布、木炭といったものがそのまま貼り付けられているのはもちろんのこと、三澤が好んで多用するソフト・ペインティングと言う手法は、下地を塗った後、筆を使うことなくチューブから出したままの厚みを持って配置することにより、全く別のレイヤーを作りだす独特の技法は、異質さが際立ちます。

2019年に脳の手術とリハビリを経験し、それ以降に発表された『New Horizon』シリーズでは、これまでの作品の特徴を一部引き継ぎながらも、よりダイナミックな方向へと変化しています。作家自身が「脳を癒す過程で生まれた」と語るこれらの作品は、彼のアートへの飽くなき挑戦と情熱と、生と死の狭間を行き交うような力強さを感じさせます。造形の美や空間との対峙を追求し、社会と深く関わりを持ってきた彫刻家としての三澤憲司だけでなく、病を患った経験を経て、自由奔放な画家として生まれ変わった彼は、内面からほとばしる膨大なエネルギーを作品にぶつけていくことをむき出しで表現しようと試みています。



1945年 長野県生まれ
1968年 多摩美術大学油絵科卒業
1969年 第1回国際彫刻展(箱根彫刻の森美術館)コンクール賞受賞
1983年 第16回現代美術展東京美術館賞受賞
1983年 第3回ヘンリー・ムーア大賞展 美ヶ原高原美術館賞受賞
1984年 文化庁芸術家在外研修員としてニューヨーク、イサム・ノグチ氏のスタジオで研修
1986年 米国ハーバード大学客員芸術家就任

 
1986年 ハーバード大学カーペンターセンターにて個展
1985年 ニューヨーク、ジャック・ティルトン・ギャラリーにてグループ展
2015年、2016年 クリスティーズ・ロンドンにて彫刻作品落札
2015年 シカゴ、シカゴ・アートフェアにてグループ展示
2015年 ハワイ島、インターナショナルにてグループ展示
2016年 ハワイ島、インターナショナルにてグループ展示
2017年 ロサンゼルス、LAアートショウ、泰明画廊より出品
2018年 ロサンゼルス、LAアートショウ、福田画廊より出品
2024年 東京、B GALLERYにて個展「BEAMS CULTUART presents 三澤憲司 横断する抽象」

http://misawa-kenji.com/

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