NAOKI KIMURA
木村尚樹

“「美しい」それは、本能である“。
それを想う時、私は「凪」に出逢うことで、心象風景の中に質感=“クオリア”を見出し、そこにある「ゆらぎ」を固有の美として獲得する。「凪」それは、“ゆらぎ”の映像的断片(連続性の破片)であり、時間を超え空間に佇む「ゆらぎ」としてのアトリビュートである。
“cogito ergo sum(我思う故に、我あり)” そして、ただ想う。人は何かを想う時、そこに何らかの質感として「ゆらぎ」を同時に体感していることになる。その度に”存在”の肯定(認識)をみるのであって、”安らぎ”(存在しうる)を感じるのである。私の試みは、”ゆらぎ”の心地よさの一つの答えを写真という手法で表現することにある。そしてそれは、美意識の「再体験」であり、郷愁やある種の高揚感を伴う”クオリア”として体感されるであろう。
本能が触れる「ゆらぎ」が共感として伝播し、芸術の記号として存在するときに、美術として意図されたものは,「限界芸術」の設えによって説明される。これはプラグマティズムの流れを汲む概念であり、戦後の日本で紡がれてきたものである。趣と美への”あしらい”は、人間の根源的な欲求であり、唯一個人の本能的体感に帰属して来た“蟠り(わだかまり)”であって、無意識の芸術を生んできた。その質感としての「ゆらぎ ≒凪」を切り取る写真の刹那が それを成立させる時、それは写真表現としての美術作品となり得る。 限界芸術へ昇華する以前の派生要素として芸術表現の起源が「本能的 ≒ 根源的」とするならば, 限界芸術の根源要素であって、その“際“に揺れ動き、浮遊さながら存在する概念は、また別な–新たなる地平を見つめるのである。それは”限界写真美術”であって、限界芸術の境界線上に零 ≒ 0の如く極僅かに揺らぐ概念 ‐”零式”‐ として、我が作風の中核に据えられる。
全ての作品には、モノクロームの理わりを与えた。 色を封印することで、現実を抽象化に導き、“想い”の幅を求めた。そうして光と影の無限の階調が、永遠を想起させるパラダイムへと移行して行く。
人の営みの中で感じることのできる、現実の破片に想いを馳せることで、写真を「美しい」 と云いたいと想う。    木村尚樹



写真美術作家。
1987年渡米、New York 及び東京(2017年 ~)を拠点に活動。モノクロームに特化したオリジナルプリント作品を主体とする。ヨーロッパを舞台とした写真美術作品を数多く発表。
和に根付く趣、自身が「凪」と称する -もののあはれ- を模索しつつ、時間と空間の交差に立ち上がる清鑑な"ゆらぎ"とその質感 -クオリア- を切り撮る。 
近年の日本に被写体を求めた作品にも作風は受け継がれており、欧米をはじめ多くのコレクター等に熱い支持を得ている。

 
1993年 東京、渋谷PARCOならびに都内PARCO店舗にて巡回展示 「3 days in China Town/木村尚樹」イクスポージャー
2005年 東京、カッシーナ・イクスシー青山にて「MLコラボレーション企画・インテリアとしての写真」展示
2009年 東京、エモン・フォトギャラリーにて「「凪・NAGI」- 立ち上がる、たまゆらの時-木村尚樹 」
2010年 東京、エモン・フォトギャラリーにて「Silent monochrome」
2011年 東京、エモン・フォトギャラリーにて「PORTRAIT」
2012年 東京、エモン・フォトギャラリーにて「Director’s Choice Vol.2」
2013年 東京、エモン・フォトギャラリーにて「Director’s Choice Vol.3 B&W」
2014年 東京、エモン・フォトギャラリーにて「木村尚樹「凪」写真集 出版記念」
2015年 東京、エモン・フォトギャラリーにて「木村尚樹「through the window -降り積もる光-」」
2018年 東京、創英ギャラリーにて「『木村尚樹展』― 凪・外伝 - nagi - anecdote ―」
2019年 東京、エモン・フォトギャラリーにて「建築と光 -建築と交わった6人の写真家達-」
2022年 東京、アートフェア東京2022、Sho+1のブースにて展示
2022年 大阪、アートステージ大阪2022、Sho+1のブースにて展示

https://www.naokikimura.com/home-j

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