Clockwise from top left:
Poverty#1  Exodus#1  Adama#1  Eden#1  year: 1993, size: 21.6 x 29 cm each, computer generate color photo


Vol.4
CROSSING ROADS:トッド・ラングレンというインスピレーション

1970年代から現在に至るまで活動を続けるアメリカを代表する音楽家、音楽プロデューサーの一人であるトッド・ラングレンは、2025年3月の来日に続き、1年の時を経て、今年は会場をビルボード東京からNHKホールへと移し、さらに大阪Zeppを含む2公演を開催しました。

ソロ・アーティストとしてだけでなく、プログレッシブ・ロック・バンド「Utopia」の中心人物としても知られ、さらに Hall & Oates、XTC、Meat Loaf など数多くの著名アーティストのプロデュースも手掛けてきました。また、映像、コンピューター・グラフィックス、インタラクティブ・メディアなどをいち早く表現に取り込んだ先駆的存在としても高く評価されています。

私が最初にトッドの音楽に触れたのは中学3年の頃でした。友人から勧められた、髪を七色に染めた本人のポートレートが印象的な『TODD』のジャケットを目にした瞬間から、その存在は特別なものとなりました。当時、イギリスのプログレッシブ・ロックバンド、とりわけ「YES」に傾倒していた私は、「アメリカにもこれほど先鋭的で実験精神に満ちた音楽家が存在するのか」と衝撃を受け、一瞬で彼の創り出す音の世界へと引き込まれていきました。

この出会いをきっかけに、1978年にアメリカへ留学してからも、サンフランシスコ湾岸エリアでトッドの公演が行われるたびに足を運び、私は次第に熱狂的なファンの一人となっていきました。そして今振り返ると、この頃に受けた刺激は、その後のギャラリー活動にも大きな影響を与えていたように思います。既存のジャンルや常識にとらわれず、音楽、映像、テクノロジー、思想を横断しながら新しい表現を切り拓いていくトッドの姿勢は、「単に作品を展示する場ではなく、新しい価値観や表現を提示する場としてギャラリーを機能させたい」という、自身のディレクションの根底にある考え方とも深く重なるものでした。

私が1984年にギャラリーを設立してからも、トッドへの熱が冷めることはなく、「いつか彼と仕事が出来たら」という漠然とした夢を抱き続けていました。そして、その機会は1993年7月、遂に現実のものとなります。トッドはこの年、『No World Order』と題したインタラクティブ作品を発表しました。これはエレクトロニカやラップの要素を大胆に取り込みながら、リスナー自身が音楽を再構築できるという、当時としては極めて革新的な試みでした。Philips CD-iを用いた世界初期のインタラクティブ・アルバムの一つとしても知られています。

ちょうどその頃、懇意にしていたアート・ディーラーの一人を通じて、トッドのマネージャーであったエリック・ガードナー氏を紹介していただく機会に恵まれました。私はすぐにエリックへ連絡を取り、『No World Order』には音楽だけでなく付随するヴィジュアル・イメージが存在することを知りました。そして、インターラクティブ・ミュージックの実演と共に、それらのイメージを限定作品として発表する展覧会をギャラリーで開催できないかと提案したのです。

この企画に対し、トッド本人も非常に前向きな反応を示してくれました。当時はまだCD-Rも一般化していない時代であり、彼はカラーヴァリエーションを含む約20種類のコンピューター・グラフィックスをMO(光磁気ディスク)に収録して送ってきました。私はそれらのデータを、当時としては最高水準の発色性を持つ光沢紙へ高精細にプリントし、ドライマウント加工を施した上で作品として発表しました。
そこに現れていたイメージ群は、どれもトッドが敬愛するシュールレアリスト、サルバドール・ダリの影響を色濃く感じさせるものでした。

展覧会は、インターラクティブ・ミュージックの実演という当時としては極めて先鋭的な試みと相まって、音楽誌のみならず、アート専門誌から一般誌に至るまで幅広く取り上げられ、大きな話題を呼ぶこととなりました。音楽家として世界的評価を確立していたトッド・ラングレンと、アート・ギャラリーという空間の中で協働できたことは、私にとって単なる「憧れのアーティストとの仕事」ではありませんでした。それは、音楽、映像、美術、テクノロジーといった異なる領域を横断しながら、新しい表現の可能性を提示するという、自身のギャラリー・ディレクションの方向性をあらためて確信する出来事でもあったのです。